■俺は「いじめられっ子」
俺は、「いじめられっ子」を幼稚園から中学1年ぐらいまでやっていた。当たり前だが、自分でなりたくて「いじめられっ子」になったわけではなく、北海道から奈良のある田舎町に引っ越してきた時点で、標的となってしまっていた。
近所の子供たちと、一緒に楽しく遊んでいると思ったら、突然、土団子のを投げられる。笑いながらやっているから、「遊び」だと思っていたら、そのうちみんなでよってたかって俺の顔中に泥をぬる。
「そんな奴らと遊ぶな」と大人は思う、それは大人の考えだ。小さな子供のころ、一緒に遊んでほしいんだ。
遠足があった。楽しいお弁当の時間です。みんなで弁当を広げ、食べ出した。俺もおふくろがつくってくれた、大きな「おにぎり」、シャケが入っていて、海苔で全部を覆っている俺の一番のお気に入りだった。
それをほうばっていると
「こいつの弁当、にぎりめしだけや」と一人の子が言った。???そんな感じだった。
見ると、ほかのみんな折り詰めにした、きれいな弁当でした。箸もなく、手で「にぎりめし」を食っていたのは、俺だけだった。
周りにいっぱい人が寄ってきた。
「貧乏人や」、「北海道の田舎もんや」…口々に何か言って笑っていた。
…ふと先生を見ると、女の先生は…ほほえましい光景と思ったのでしょうか、笑っていた。俺の目から涙がこぼれた。すると、また笑われた。
学校の帰りに一緒に帰っていたら、みんな一斉に走り出して、俺から逃げる。なんで?
「そんなのほうっておけばいい」と言うでしょう、それも大人の考えです。
自分からみんなが逃げていく、追っても追っても逃げていく…そしてひとりで家に帰りつく。次の日も、次の日も…。
物心つくと、そんなことは親には一切言わなくなった。だって、格好悪い、子供にだってプライドはある。言ったところで、おやじに「そんな奴らやってこい」、そう怒鳴られるだけ、けんかをやりに行ったら負けるに決まっている…。
考えてもみてほしい。俺は、もうとうに四十を過ぎているおやじだ。そのおやじが、「こんなささいなこと」をまだ鮮明に覚えている。いや、忘れられないのだ。
その笑った子の顔も、声も、顔に泥を塗った子の顔も、みんなそのまま残ってしまっている。
それが「いじめ」だ
俺のような経験を持っている人、本当にたくさんいるはずだ。いじめる側よりいじめられる側の方が圧倒的に多いから。
それが中学1年まで続いた。もちろん、今、書いたような、幼い小学校の低学年の「いじめ」からどんどん悪質なものになっていった。
ところが、その「いじめ」が中学2年にピタッと止まった。それはなぜだ?
プロフィールでも書いたが、いきなり学校の成績が上がった。いきなりバスケット部のキャプテンになった。
そして決定的なことが起こった。
俺が、学級委員(級長)になった。するとそのクラスに、ワルガキが数人ガラガラと戸を開けて入ってきた。それも授業中に…。そして一人の男の子をいきなり殴り出した。理由なんて何もない。教師は、ただ、前で「やめなさい」と言うだけ、そんな学校だった。
そんなことが続いた。俺のクラスが標的にされた。
そして、ある日、また授業中に、一人のワルガキが入ってきて、いきなり俺の隣に座っていた同じ部活のツジモトをけり出した。ツジモトもフラフラしたヤツで、今で言うパシリみたいなことをさせられていたのは知っていた。
ツジモトは「○○ちゃん、やめてくれよ〜」と、情けない声を出していた。だが、ちょっとお遊びにしては度が過ぎてきた。
「おい、出ていってくれよ、授業中やど」俺の級長の義務感から出たその言葉、ワルガキの誘いにまんまと乗ってしまった。
標的は、初めから俺だった。いきなり、パイプ椅子で殴られた。竹刀で腹を突かれ、うずくまっていると、次にスチールの机が飛んできた。
奴らにとって、俺は「なまいき」だったんだ。「いじめられっ子」のくせに…。
キレるというのは、このことかもしれない。何も考えていないのに、俺の全体重を乗せたような拳がヤツの顔面にまぐれで命中した。火事場のくそ力というのは本当だった。ヤツは吹っ飛んで行って、後ろのロッカーに頭をしこたま打った。
そのときのヤツのびっくりした顔は今でもしっかり目に焼き付いている。恥をかかされたヤツは、大声でわめきながら竹刀を振り回して、俺のところに戻ってきたとき、そこに教師が来て、一件落着。
「闘う」それしかない。俺はそのとき学んだ。体で学んだ。
蜂は刺す。刺されても死ぬことはない。でも、蜂を見ると人は避ける。
たった一発でも、闘うことだ。
仕返しが怖い。もちろん怖い、俺も、ヤツを殴った日は、友達からの情報で学校帰りに数人で待ち伏せすると聞いて、怖くて、怖くて、一旦近くの友人の家に行き、夜、そこから違う道を通って帰ったほど怖かった。
幸い、俺にはバスケ部の連中が味方にいた。学校でもでかい奴らばかりの部活だ。そうやすやすとはやられない奴らが後ろにいてくれた。それもあったのだろう、それですべてが終わった。その日以来、私に何か言ってくるヤツは一人もいなくなった。
俺は、幸運だったのかもしれない。こんにうまくいくことはまれかもしれない。
ならば、そこから「逃げる」しかない。
逃げることは卑怯なんかじゃない。
自分を守るためだ。
さっさとそんなところから逃げるべきだ。
その後、その中学校は荒れに荒れた。
突然、校内放送が入り「全校生徒は直ちに下校しなさい…直ちに下校しなさい」
職員室で用事をしていた俺は、「何だ?またか」、そう思って3階に上がった。すると目の前の光景を疑った。あまりにひどすぎた。
3年8組に、ワルガキが十数人が乱入し、椅子は投げる、給食の食器はばらまかれ、窓ガラスは割れて飛び散り、女の子の悲鳴が聞こえる。教師が棒で殴られる。俺の後から数人の男性教師が、来たが、多勢に無勢、止めようがない。
ガキどもは、何か変な薬を飲んでいた。覚醒剤ではないが、何かわけのわからなくなる薬だと言っていた。幾ら、殴っても、痛みを感じないような薬だと、その教師が言っていた。
そして、ついに数日間、学校は閉鎖に追い込まれた。
こうやって、ワンカットずつ話をすると、ドラマみたいだ。うそのようだ。だが、現実だった。
いじめられた人間は、いじめたヤツを一生忘れない。必ず仕返しをしてやろうと思い続けている。
もし、少しでも、自分のやっていることは、「いじめ」かなと思う人たち、
自分の子供がそんなことをしてるかなと思う親たち、すぐにやめた方がいい、どんなことをしてもやめさせるべきだ。
いつか、どこかで、いろんな形で、報復されることになる。
俺は、「いじめられっ子」を幼稚園から中学1年ぐらいまでやっていた。当たり前だが、自分でなりたくて「いじめられっ子」になったわけではなく、北海道から奈良のある田舎町に引っ越してきた時点で、標的となってしまっていた。
近所の子供たちと、一緒に楽しく遊んでいると思ったら、突然、土団子のを投げられる。笑いながらやっているから、「遊び」だと思っていたら、そのうちみんなでよってたかって俺の顔中に泥をぬる。
「そんな奴らと遊ぶな」と大人は思う、それは大人の考えだ。小さな子供のころ、一緒に遊んでほしいんだ。
遠足があった。楽しいお弁当の時間です。みんなで弁当を広げ、食べ出した。俺もおふくろがつくってくれた、大きな「おにぎり」、シャケが入っていて、海苔で全部を覆っている俺の一番のお気に入りだった。
それをほうばっていると
「こいつの弁当、にぎりめしだけや」と一人の子が言った。???そんな感じだった。
見ると、ほかのみんな折り詰めにした、きれいな弁当でした。箸もなく、手で「にぎりめし」を食っていたのは、俺だけだった。
周りにいっぱい人が寄ってきた。
「貧乏人や」、「北海道の田舎もんや」…口々に何か言って笑っていた。
…ふと先生を見ると、女の先生は…ほほえましい光景と思ったのでしょうか、笑っていた。俺の目から涙がこぼれた。すると、また笑われた。
学校の帰りに一緒に帰っていたら、みんな一斉に走り出して、俺から逃げる。なんで?
「そんなのほうっておけばいい」と言うでしょう、それも大人の考えです。
自分からみんなが逃げていく、追っても追っても逃げていく…そしてひとりで家に帰りつく。次の日も、次の日も…。
物心つくと、そんなことは親には一切言わなくなった。だって、格好悪い、子供にだってプライドはある。言ったところで、おやじに「そんな奴らやってこい」、そう怒鳴られるだけ、けんかをやりに行ったら負けるに決まっている…。
考えてもみてほしい。俺は、もうとうに四十を過ぎているおやじだ。そのおやじが、「こんなささいなこと」をまだ鮮明に覚えている。いや、忘れられないのだ。
その笑った子の顔も、声も、顔に泥を塗った子の顔も、みんなそのまま残ってしまっている。
それが「いじめ」だ
俺のような経験を持っている人、本当にたくさんいるはずだ。いじめる側よりいじめられる側の方が圧倒的に多いから。
それが中学1年まで続いた。もちろん、今、書いたような、幼い小学校の低学年の「いじめ」からどんどん悪質なものになっていった。
ところが、その「いじめ」が中学2年にピタッと止まった。それはなぜだ?
プロフィールでも書いたが、いきなり学校の成績が上がった。いきなりバスケット部のキャプテンになった。
そして決定的なことが起こった。
俺が、学級委員(級長)になった。するとそのクラスに、ワルガキが数人ガラガラと戸を開けて入ってきた。それも授業中に…。そして一人の男の子をいきなり殴り出した。理由なんて何もない。教師は、ただ、前で「やめなさい」と言うだけ、そんな学校だった。
そんなことが続いた。俺のクラスが標的にされた。
そして、ある日、また授業中に、一人のワルガキが入ってきて、いきなり俺の隣に座っていた同じ部活のツジモトをけり出した。ツジモトもフラフラしたヤツで、今で言うパシリみたいなことをさせられていたのは知っていた。
ツジモトは「○○ちゃん、やめてくれよ〜」と、情けない声を出していた。だが、ちょっとお遊びにしては度が過ぎてきた。
「おい、出ていってくれよ、授業中やど」俺の級長の義務感から出たその言葉、ワルガキの誘いにまんまと乗ってしまった。
標的は、初めから俺だった。いきなり、パイプ椅子で殴られた。竹刀で腹を突かれ、うずくまっていると、次にスチールの机が飛んできた。
奴らにとって、俺は「なまいき」だったんだ。「いじめられっ子」のくせに…。
キレるというのは、このことかもしれない。何も考えていないのに、俺の全体重を乗せたような拳がヤツの顔面にまぐれで命中した。火事場のくそ力というのは本当だった。ヤツは吹っ飛んで行って、後ろのロッカーに頭をしこたま打った。
そのときのヤツのびっくりした顔は今でもしっかり目に焼き付いている。恥をかかされたヤツは、大声でわめきながら竹刀を振り回して、俺のところに戻ってきたとき、そこに教師が来て、一件落着。
「闘う」それしかない。俺はそのとき学んだ。体で学んだ。
蜂は刺す。刺されても死ぬことはない。でも、蜂を見ると人は避ける。
たった一発でも、闘うことだ。
仕返しが怖い。もちろん怖い、俺も、ヤツを殴った日は、友達からの情報で学校帰りに数人で待ち伏せすると聞いて、怖くて、怖くて、一旦近くの友人の家に行き、夜、そこから違う道を通って帰ったほど怖かった。
幸い、俺にはバスケ部の連中が味方にいた。学校でもでかい奴らばかりの部活だ。そうやすやすとはやられない奴らが後ろにいてくれた。それもあったのだろう、それですべてが終わった。その日以来、私に何か言ってくるヤツは一人もいなくなった。
俺は、幸運だったのかもしれない。こんにうまくいくことはまれかもしれない。
ならば、そこから「逃げる」しかない。
逃げることは卑怯なんかじゃない。
自分を守るためだ。
さっさとそんなところから逃げるべきだ。
その後、その中学校は荒れに荒れた。
突然、校内放送が入り「全校生徒は直ちに下校しなさい…直ちに下校しなさい」
職員室で用事をしていた俺は、「何だ?またか」、そう思って3階に上がった。すると目の前の光景を疑った。あまりにひどすぎた。
3年8組に、ワルガキが十数人が乱入し、椅子は投げる、給食の食器はばらまかれ、窓ガラスは割れて飛び散り、女の子の悲鳴が聞こえる。教師が棒で殴られる。俺の後から数人の男性教師が、来たが、多勢に無勢、止めようがない。
ガキどもは、何か変な薬を飲んでいた。覚醒剤ではないが、何かわけのわからなくなる薬だと言っていた。幾ら、殴っても、痛みを感じないような薬だと、その教師が言っていた。
そして、ついに数日間、学校は閉鎖に追い込まれた。
こうやって、ワンカットずつ話をすると、ドラマみたいだ。うそのようだ。だが、現実だった。
いじめられた人間は、いじめたヤツを一生忘れない。必ず仕返しをしてやろうと思い続けている。
もし、少しでも、自分のやっていることは、「いじめ」かなと思う人たち、
自分の子供がそんなことをしてるかなと思う親たち、すぐにやめた方がいい、どんなことをしてもやめさせるべきだ。
いつか、どこかで、いろんな形で、報復されることになる。
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